プロジェクトタイトル
発酵食の経営人類学:地域観光との関連から
研究ユニット
代表者
メンバー
プロジェクト期間
2024年5月10日 ~ 2025年3月31日
プロジェクト概要
東西南北に広がる国土を有する日本は、地域固有の気候、風土、産物という面において多様性を有しており、そこで暮らす人々は、長い年月をかけ、より望ましい生活のために工夫された生活文化を醸成してきたと理解することができる(石川2000)。このうち、いわゆる食文化に目を転じると、調理や賞味の過程で発酵調味料が多用されることに特徴があるといわれている(大久保2017)。たとえば、大豆?米?麦などを発酵させたつくられた味噌?醤油や、発酵飲料である酒をさらに発酵させた酢やみりん、さらに地域によっては魚を発酵させた魚醬などが使用され、多様な食文化が伝承されている。本研究は、ユネスコ無形文化遺産に登録された和食文化に注目し、それらを観光資源としたフードツーリズムの視点から検討を加えるものである。とりわけ発酵調味料に焦点を当て、発酵調味料と食文化、およびその地域性との関連について調査するとともに、地域観光への活用の可能性について経営人類学的に考察することを目的とする。
成果報告
本プロジェクトでは、秋田県湯沢市、新潟県長岡市、富山県全域、そして和歌山県全域を対象として、味噌醤油醸造蔵をめぐり、各地の気候、風土がどのような地域性を形成し、どのような食文化をもたらしているのかを探ることを目的としていたが、調査を進める中で「発酵」をテーマとした宿泊施設が沖縄本島と鹿児島県の霧島地域に存在することを知り、これらの事例も射程に含めるかたちで調査を進めた。
まず、最初に訪れた新潟県長岡市で訪問した味噌星六では、越後味噌(米味噌)と麦味噌を醸造していた。原材料は契約農家が無農薬で生産したもの、水は山に汲みに行くこともあるが大半は水道水をろ過したものを使用していることがわかった。塩は天然塩を使用するなど、地球に負荷をかけないものづくりを実践していた。味噌星六の味噌は、味噌汁でおいしく食べられる味噌として販売している。その他、野菜の味噌漬け(例:長岡巾着ナス、大根、きゅうりなどの味噌漬け)や、銀鱈の味噌漬けなど、加工食品も製造?販売していた。
秋田県湯沢市で訪問したヤマモ味噌醤油醸造元、石孫本店では、秋田味噌(米味噌)と醤油を醸造していた。秋田味噌は、米麹を多めに使った甘味の強い味噌で、塩分濃度は11%程度であった。両店ともに、秋田県産の原材料にこだわり、厳しい寒さから建物の中に醸造蔵をつくる内蔵(うちぐら)が特徴的であった。石孫本店では、秋田杉の木桶を使い、秋田県男鹿半島の塩を使ったオール秋田県産の特別な味噌も作られていた。味噌については、味噌汁として食べることを想定して作られているものの、石孫本店ではラーメンを土曜日のみ提供していたほか、ヤマモ味噌醸造元では、蔵つき酵母を調理に使ったメニューを開発し、カフェ→レストラン→オーベルジュを併設するなど、2次産業から3次産業への産業構造の高度化も確認された。また、石孫本店では、地場産野菜を使った味噌漬けの製造?販売も行っていた。
富山県で訪問した、石黒種麹店、杉野味噌醤油株式会社、新村こうじ味噌商店ではいずれも越中味噌(米味噌)を醸造しており、「水分多く、塩分高く、麹歩合高く、そして2年、3年をかけてじっくりと発酵熟成させた味噌」(山元醸造株式会社HPより)が特徴であることがわかった。また、富山市から射水市にかけての地域の祭りでみられるこんにゃくを使った「あんばやし」、呉西地域でみられる野菜の「よごし」(味噌を煎り付けた料理)、筍の味噌煮、朝日町の「みそかんぱ」(ご飯をすりつぶして小判型に成形し割りばしに刺して焼く料理)など、味噌を使った当地に独特の料理も多く確認できた。味噌加工品としては、豚肉、ぶりなどの鮮魚、野菜、豆腐の味噌漬けなどが多く出回っており、行事食としては、11月の報恩講で見られる「いとこ煮」や、サトイモの田楽などがある。ゆず味噌、ごま味噌、甘味噌など、煮たり焼いたりした野菜に塗って食べる加工味噌の種類も多く見られた。醤油については、組合で作られた生揚げ醤油にアミノ酸液を加えて作られる甘い醤油が富山県から石川県にかけて多く見られた。
新潟県長岡市、秋田県湯沢市、そして富山県全域の味噌?醤油醸造蔵の特徴とまとめると、次の通りである。
- 味噌:米麹を使った米味噌で、米どころであったことから麹歩合は多めであった
- 醤油:新潟県、秋田県のいずれも木桶で醸造した醤油が主流であったが、富山県では生揚げ醤油にアミノ酸液を加えた甘い醤油の種類が多く見られた。
他方、和歌山県で訪問した味噌?醤油醸造蔵においては、日本海側とは様相の異なる多様な製品が確認された。味噌の種類は、米味噌であるが、白みそ、金山寺味噌が作られる割合が高いのが特徴的であった。白みそは、紀南から紀中、紀北にかけて販売量が多くなっていた。紀南(田辺市)の小山安吉醸造元では年末年始に集中して白みそを製造?販売していが、紀中(湯浅町、御坊市)および紀北(和歌山市)の味噌店では、通年で販売していた。白みその用途は、雑煮だけでなく、日常的に飲む味噌汁、野菜のぬたや和え物として利用するほか、和菓子の白あんにも使うなど、幅広い用途が見られた。和歌山県内で製造?販売されている白みそは優しい甘味が特徴的だが、甘味の強い京都の白みそとは別物の味わいである。白みそについては、地域によって作り方も味わいも多様で、今後も調査の必要があると考える。県内では赤みそを製造販売していたのは御坊市の天田屋のみであった。金山寺味噌は歴史的背景を反映して、湯浅町の製造業者が多いものの、県内の多くの味噌蔵で製造販売されていた。金山寺味噌は日本全国の産直販売店で販売されているものの、和歌山県内の味噌醸造蔵での製造割合が4割~9割と圧倒的に多いことからも、和歌山県での消費量が他府県より多くなっていることが確認できた。これは、鎌倉時代の1249(建長元)年に当時の宋(現在の中国)に渡った法燈国師が「径山寺味噌」を日本に持ち帰り製法を伝え、由良の興国寺で作り始めたことに由来しており、江戸時代に紀州藩が推進したブランディング政策の影響が強いことも指摘されている(李,2021)。しかし、和歌山県内での金山寺味噌の流通量の多さは、食文化との影響も大きい。特に、江戸時代に米の少なさを補おうと工夫された茶粥文化と金山寺味噌との相性がよいことから、金山寺味噌が今日でも消費者に根強く支持され、他府県より消費量が多い結果となったとみられる。
本プロジェクトの調査結果から、新潟県長岡市、秋田県湯沢市、富山県全域、そして和歌山県全域にある味噌醤油醸造蔵で製造されている味噌は、各地域の食材を使い、各地域の食材による料理に合った味わいのものとなって現代に継承される多様性が見られるとともに、各地域の郷土料理の味を決める基盤となる調味料として機能し、世界無形文化遺産に登録された「和食;日本人の伝統的な食文化」の地域性を生み出す固有性が確認できた。
また、高付加価値型のフード(ガストロノミー)ツーリズムを実現させるための有力なコンテンツの実態としては、秋田県湯沢市のヤマモ味噌醸造元で進められている蔵つき酵母を使った独自の調理法への発展の事例を挙げることができる。世界レストランベスト50で1位を5回獲得したコペンハーゲンにあったレストランNoma(2024年末で閉店)は、独自の発酵技術を使って食材の熟成やソースを開発し、ここにしかない味を創り出していたが、ヤマモ味噌醸造元ではコハク酸を産生する蔵つき酵母を使ってここにしかない味を創り出すというNomaと同様の方法を用いて、秋田県湯沢市の食文化を背景に高付加価値型のフード(ガストロノミー)ツーリズムを実現させていた。また、秋田県では、食のあきた推進課であきた発酵ツーリズムを推進しているほか、湯沢市岩崎地区で取り組まれている「岩崎発酵するするまちづくり協議会」では農泊のコンテンツの一つとして醸造蔵が機能し、高単価のツアープログラムを実現していることも確認できた。
この湯沢市における農泊プログラムをヒントに発酵を宿泊に活用した事例を探したところ、冒頭で記した沖縄県と鹿児島県で先行事例があることを新たに知り、今後の研究の可能性を広げるべく、現地調査を実施した。
沖縄県中城村にある「EMウェルネス 暮らしの発酵ライフスタイルリゾート」では、土地改良、水環境の改善、悪臭の消臭、家庭内の清掃などに有用な微生物群(Effective Microorganisms)を取り入れた暮らしを提案する拠点となるホテルで、インバウンド観光客が約4割(台湾、韓国ほか)、残り6割は沖縄県民を中心とした国内利用とのことであった。ホテル内では、主に地域住民を対象とした発酵調味料(味噌、酢、みりん、塩麹、生揚げ醤油など)づくりの体験プログラム、暮らしに活かせるEM講座(家庭菜園、洗濯?掃除など)など、生活に密着したプログラムを実施していた。しかし、ホテルのレストランで提供されている食事は、沖縄伝統の食文化というよりは、本土の料理が多く並ぶブッフェ形式であっただけでなく、売店で販売されていたものは、福井県産の塩麹や長野県産の味噌調味料など、沖縄県外の生産者のものが並んでいた。おそらく、地元住民のニーズを反映したものであろうが、沖縄県内には、米麹を使った米味噌が伝統的に作られていることから、このような伝統的な沖縄の食文化を味わうことができればと感じる調査となった
次に、鹿児島県霧島市にある「麹?発酵ホテル」を調査した。このホテルは、焼酎の教科書を作った河内源一郎氏が創業した種麹店「河内源一郎商店」が経営している。河内源一郎商店は、味噌や醤油で使われる黄麹だけでなく、黒麹、白麹も扱っており、現在は発酵が活発に進む黒麹の研究と、黒麹を使用した商品開発を熱心に進めている。また、河内源一郎商店は「麹ソムリエ」資格の監修も行っており、資格取得者の「麹を自分の手で作りたい」というニーズに応えるため(製麴3日と言われ、宿泊を伴う作業であるため)の宿泊施設として当該ホテルを開業したことがわかった(副支配人へのインタビューによる)。インバウンド観光客のニーズも一定数あり、今後の展開に期待がもたれる。
世界的に手間暇をかけて食品を保存し、付加価値および栄養価を高める「発酵」に対する注目が集まっている現在、高付加価値型のフード(ガストロノミー)ツーリズムの実現に、「発酵」が貢献することは大きいと考える。本プロジェクトで調査した内容はその一端に過ぎず、今後も先行地域および先行事例を吟味し、高付加価値型コンテンツの実態について研究を進めたい。